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真実の仏教を説く先生は数百年に一人ですが、現在その先生が富山におられます。先生の書物によって皆さんに仏縁を結んでもらい、後生の一大事の解決の入り口になればと思います。

このブログは、作り話を載せているのではありません。
死ねばどうなるか、ハッキリしていませんよね。
もしかしたら、死後は苦しみの世界になるのではないかと
誰もが考えることはあると思いますが、
お釈迦さまは『大無量寿経』で、ズバリ、「必堕無間(地獄)」と教えています。
我々には想像できないほどの大苦悩を受ける世界に
気の遠くなるほどの長年月、堕ちねばならないと説かれているのです。
それは何故か、そしてどうすればそれを解決できるのかを教えるために、
お釈迦さまは地球にお出ましになられました。
このブログは読み飛ばさないことをお勧めします。
無知ほど恐いものはないのです。
(弥陀の本願を知らない、求めないこと自体、あまりに危険です。
人間として生まれて来た意味もわからないまま、畜生と同じ一生を終えますか!?
畜生は仏教を理解する知恵がないから六道輪廻し、永遠に苦しまなくてはなりませんが、
我々人間は弥陀の本願を聞思し、救われて極楽往生できる道があるのです。
だから人間として生まれたということはものすごいことであり、
ボーとして求めるものを求めずに過ごしてしまったら取り返しのつかないことなのです。)

           

死後に再会するためには ブログトップ

未来永遠の家族になる方法はあるのか!? [死後に再会するためには]

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親兄弟や愛児、恋人との
悲しい別れを経験した人は、
故人の在りし日を、
しみじみと思い出すことがあるでしょう。

今ごろあの人は、どこでどうして・・・
もう一度会いたい

つのる思いは簡単には消せません。
私たちを突如、涙の谷に突き落とす残酷な死。
しかしそれは、私自身にも必ず訪れます。
愛する人の死を無駄にしないためにも、
我が身の一大事を見つめ、
弥陀の浄土で再会できる身に
ならせていただきましょう。


お別れね。また私を見つけてね。

小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一著)が、
三百万部を超える記録的なベストセラーになりました。
主人公の朔(さく)とアキは、
将来を誓い合う高校生同士。
「いつか一緒にオーストラリアに行こう」
と夢を馳せる二人が、
アキを襲った白血病によって、
悲しい別れを余儀なくされる物語です。
「愛し合った二人が再び会える世界ってあるのかな?」
別れを悟った二人の関心は、
死後再会できるかという一点に
向かっていきました。

しかし、結論の出ぬまま、
アキに最期が訪れます。
「お別れね、また私を見つけてね」
朔に告げたアキの言葉に、
多くの人が涙しました。



不慮の事故や事件で、突如、
家族を失った心の傷も深刻です。
長崎の小6同級生殺害事件は
日本中に衝撃を与えました。
愛娘を失った父親の、
さっちゃん。今どこにいるんだ」の手記には、
だれもが胸を痛めずにはおれませんでした。

大切な人の死を悼む気持ちは皆同じです。
でも、死別はいつも私が残るとは限りません。
親しい人の死に接した時、
人はやがてわが身に訪れる死を予感し、
底知れぬ不安と恐怖を感じます。
「もう再び会えないのだなあ、
話もできないのだ。」
と、故人のために流す涙は、実は、
「自分もいつか必ず、
再び帰ってはこられない遠い世界に、
たった一人、旅立たねばならないのだなあ」
と、自分のために流す涙でもあるのです。

家族や友人の無常を、
我が身に迫る一大事を
見つめる勝縁とすることこそ、
肝心ではないでしょうか。


こうまでしてくださらないと 
             分からぬ私でありました

お釈迦さまの時代に
こんな話が残されています。


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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キサーゴータミーといわれる麗しい女性が、
結婚して玉のような男子を生んだ。
命より大切にして育てていたその子が、
突然の病で急死した。
彼女は狂わんばかりに
愛児の亡骸を抱きしめ、
この子を生き返らせる人はいないかと
村中を尋ね回った。
会う人見る人、その哀れさに涙を流したが、
死者を生き返らせる人などあろうはずがない。
だが今の彼女に、
何を言っても無駄だと思う人たちは、
「舎衛城(しゃえじょう)にまします釈尊に
聞かれるがよい」
と教える。

早速、キサーゴータミーは釈尊を訪ね、
泣く泣く事情を訴え、
子どもの生き返る法を求めた。
哀れむべきこの母親に釈尊は、
優しくこう言われている。
「あなたの気持ちはよく分かる。
いとしい子を生き返らせたいのなら、
私の言うとおりにしなさい。
これから町に行って、
今まで死人の出たことのない家から、
ケシの実をひとつかみ、
もらってくるのです。
すぐにも子どもを生き返らせてあげよう。」
それを聞くなりキサーゴータミーは、
町に向かって一心に走った。

どの家を訪ねても、
「昨年、父が死んだ」
「夫が今年亡くなった」
「先日、子どもに死別した」
という家ばかり。
ケシの実は、どの家でも持ってはいたが、
死人を出さない家はどこにもなかった。
しかし彼女は、なおも死人の出ない家を
求めて駆けずり回る。
やがて日も暮れ夕闇が町を包むころ、
もはや歩く力も尽き果てた彼女は、
トボトボと釈尊の元へ戻っていた。

「ゴータミーよ、ケシの実は得られたのか」
「世尊、死人のない家はどこにもありませんでした。
私の子どもも死んだことがようやく知らされました。」
「そうだよキサーゴータミー。
人は皆死ぬのだ。
明らかなことだが、
分からない愚かな者なのだよ。

本当に馬鹿でした。
こうまでしてくださらないと、
分からない私でございました。

こんな愚かな私でも、
救われる道を聞かせてください。」
愛児の無常に、自らの一大事を自覚した彼女は、
深く懺悔し、直ちに仏法に帰依したという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宇宙に飛び出しても逃げられない「死」

生あるものは必ず死す。
有史以前から幾憶兆の人類で、
死ななかった人は一人もいない。
蓮如上人は、『御文章』に、
上は大聖世尊(釈迦のこと)より始めて、
下は悪逆の提婆(だいば)に至るまで、
逃れがたきは無常なり。

と仰っています。
最も偉大なお釈迦さまも、
その釈尊の名声をねたみ、
命を付け狙った提婆も、
死を免れることはできない。
たとえ、宇宙に飛び出しても
逃れることはできないのです。

死は突如やってくる暴力

死は百パーセント確実な未来と納得しても、
とかく遠い先のことと思いがちです。
死なんてまだまだ先の話。
今から考えたってしょうがないよ。」
と言う人がありましょうが、
果たして、
正しい人生観といえるでしょうか。


タレントのビートたけしさんは、
かつてのバイク事故で生死をさまよった時、
「今までどうしてこんな生き方をしたんだろう」
と猛省し、「人生観の訂正」をせざるをえなかったことを
告白しています。
死というものは突如来る暴力なんだね。
準備なんかしなくたっていいと言ってても、
結局死というものには
無理矢理対応させられるわけだよ。

あまりに一方的に向こうが勝手に来るわけだから。
死というもののすごさというのは、
自分が人生を振り返って、
何をしたとか何をしていないとかいうのは
全然関係ない。
そんなことはビタ一文かすんないんだよ

                 (『たけしの死ぬための生き方』)

精神科医であった頼藤和寛氏も、
五十二歳でガンの宣告を受けたとき、
著書にこう綴っています。
これまで平気で歩いてきた道が
実は地雷源だったと教えられ、
これから先はもっと危ないと
注意されるようなものである。
それでも時間の本性上、
退くことはおろか立ち止まることもできない。
無理矢理歩かされる。
次の一歩が命取りなのか、
あるいはずいぶん先の方まで
地雷源に触れないままに進めるのか。
いずれにせよ、
生きて地雷源から抜け出せることはできない。

        (『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』)


次の一歩で爆発するかもしれない道を、
誰もが歩いているのだと訴えています。
死はまだまだ先の話ではない。
今の問題だと知らされるではないですか。

にもかかわらず、
自分が死ぬとは思えないのは、
太陽と死は直視できないといわれるように、

己の死は、直視するには
あまりに過酷だからでしょう。

しかし、いくら目を背けていても
解決にはなりません。


「今死ぬと 思うにすぎし 宝なし
       心にしみて 常に忘れるな」

死を見つめることは
いたずらに沈むことではなく、
生の瞬間を日輪よりも明るくする
第一歩なのです。


生死の一大事を
     ただいま解決する真実の仏法


いよいよ死なねばならぬとなったらどうでしょう。
蓮如上人のお言葉です。

「まことに死せんときは、
予てたのみおきつる妻子も財宝も、
我が身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ


今まで頼りにし、
力にしてきた妻子や金や物も、
いよいよ死んでいく時は、
何一つ頼りになるものはない。
すべてから見放されて、
一人でこの世を去らねばならない。
丸裸で一体、どこへ行くのだろうか。




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仏典にはこんな話が伝えられています。

昔、ある金持ちの男が
三人の妻を持って楽しんでいた。
第一夫人を最も可愛がって、
寒いと言ってはいたわり、
暑いと言っては心配し、
贅沢の限りを尽くさせ、
一度も機嫌を損なうことはなかった。

第二夫人は、
それほどではなかったが種々苦労して、
他人と争ってまで手に入れたので、
いつも自分のそばに置いて楽しんでいた。

第三夫人は、何か寂しい時や、悲しい時や、
困った時だけ会って楽しむ程度であった。

ところがやがて、
その男が不治の病床に伏すようになった。
刻々と迫り来る死の影に恐れおののいた彼は、
第一夫人を呼んで心中の寂しさを訴え、
ぜひ死出の旅路の同道を頼んだ。

ところが、
「ほかのこととは違って、
死の道連れだけは、
お受けすることはできません」
とすげない返事に、
男は絶望のふちに突き落とされた。

しかし、寂しさに耐えられぬ男は、
恥を忍んで第二夫人に頼んでみようと思った。
「あなたがあれほど、かわいがっていた第一夫人でさえ、
嫌とおっしゃったじゃありませんか。
私も、まっぴらごめんでございます。
あなたが私を求められたのは、
あなたの勝手です。
私から頼んだのではありません」
案の定、第二夫人の返事も冷たいものであった。

男は、恐る恐る第三夫人にすがってみた。
「日ごろのご恩は、決して忘れませんから、
村はずれまで同道させていただきましょう。
しかし、そのあとはどうか、堪忍してください。」
と突き放されてしまった。

男というのは私たち人間のことです。
第一夫人は肉体、
第二夫人は金銀財宝、
第三夫人は父母妻子兄弟友人などを
例えられています。

いよいよ死んでいくときに、
私たちは今まで命にかえて、
愛し求めてきた財産や家族、
この肉体からさえも見放され、
何一つあて力になるものがなかったことに、
嘆き悲しむのです。

そして、一歩後生へと足を踏み出した時、
魂は真っ暗な未来に泣き、たった一人、
未知の世界へと入っていかねばなりません。


お釈迦さまの、この一大事の解決一つを
教えられているのが、真実の仏教です。


●往くは、光明輝く弥陀の浄土

釈尊は、一切経の結論として、
『大無量寿経』に、

一向専念無量寿仏」とおおせになり、 
(※無量寿仏=阿弥陀仏)
後生の一大事の解決は、
大宇宙最高の仏である
阿弥陀仏の本願によるしかない。
だから、阿弥陀仏一仏に向き、
阿弥陀仏だけを信じよ

と明言されています。
 

 
蓮如上人も、だから『御文章』に、
これによりて、ただ深く願うべきは後生なり、
信心決定して参るべきは
安養の浄土なりと思うべきなり

とおっしゃり、
阿弥陀仏を信ずるよりほかに、
後生の一大事を解決する道は
決してないぞ
、と明かされています。

弥陀は、その誓願に、
「死後のハッキリしない暗い心を一念で破り、
‘極楽浄土へ必ず往ける’大安心、
大満足の身にしてみせる」
と誓われています。

この阿弥陀仏の本願を信じ切れた時、
この世は生きてよし、
死んでよしの無上の幸福に生かされ、
死後は必ず弥陀の浄土へ往生しますから、
後生の一大事は完全に解決いたします。


しかも極楽の蓮台(れんだい)に
仏として生まれれば、
懐かしい人たちとも再会できるのです。

『阿弥陀経』には、
「倶会一処(くえいっしょ)」と
説かれています。
弥陀の浄土は、ともに一処に会うことのできる
世界だからです。


ただ、ここで、
真実の信心をえたる人のみ
本願の実報土(極楽浄土)によく入ると知るべし

               (尊号真像銘文)
と、親鸞聖人が明言されているように、
浄土へ往けるのは、真実の信心、
すなわち阿弥陀仏から賜る他力の信心を
得ている人のみである
ことを
よく心得ていなければならない
でしょう。

蓮如上人も、
一念の信心定まらん輩(ともがら)は、
十人は十人ながら百人は百人ながら、
みな浄土に往生すべき事更に疑いなし

とおっしゃり、
死後、浄土に往生できるのは、
一念の信心(他力の信心)を獲得した人だけだぞ

と目釘を刺しておられます。

●信心の異なる者は、再会できない。

親鸞聖人三十四歳の御時、
そのことを明らかになされたことがありました。
法然上人のお弟子であった聖人は、
ある時、聖信房、勢観房、念仏房らの
そうそうたる高弟の居並ぶ前で、

「法然上人の信心も、この親鸞の信心も、
少しも異なったところはございません。
全く一味平等でございます。」
と喝破なされた。

「そなた何様のつもりだ」
「お師匠さまを冒涜するにもほどがある」
聖人のあまりに大胆不敵な発言に、
憤慨した三人は激しく難詰(なんきつ)する。
智恵第一、勢至菩薩の化身と尊崇されていた
法然上人の信心と同じになれるなど、
夢にも考えられぬことであったからでしょう。

朝夕、ともに法然上人の説法を聞いていても、
上人の告白される血を吐く懺悔もなければ、
飛び立つような大慶喜心もない。
これはなぜだろうと思ってはみますが、
お師匠さまと同じ信心になれるはずがないと
思い込んでいますから、
親鸞聖人のお言葉は大変な驚きであったのです。

その時聖人は、穏やかに、
「皆さん、お聞き違いくださいますな。
この親鸞は智恵や学問や徳がお師匠さまと同じだと
申しているのではありません。
ただ、阿弥陀仏より賜った他力金剛の信心一つは、
微塵も異ならぬと申したのでございます。」
と断固として言い切られました。

この激しい信心の諍論に対して法然上人のご裁断は、
実に快刀乱麻を断つ、明快そのものでした。

皆さん、よく聞きなさい。
信心が異なるというのは、
自力の信心であるからだ」
「自力の信心は、智恵や学問や経験や才能で
作り上げたもの。
その智恵や学問や経験や才能は、
一人一人異なるから、
自力の信心は、一人一人違ってくるのだよ

「他力の信心は、
阿弥陀仏からともに賜る信心だから、
だれが受け取っても皆、
同じ信心になるのである」
「それゆえに、阿弥陀如来から賜った私の信心も、
親鸞の信心も、少しの違いもない。
全く同じになるのだよ。」


「いいですか。この法然と異なる信心の者は、
私の往く極楽浄土には往けませんよ。
心しておきなさい。」

と、キッパリと相手の顔色をうかがわずにおっしゃいました。

同一の信心でなければ、
同一の世界には生まれられません。
自力の信心は一人一人異なり、
後生も一人一人の世界に堕ちていきますから、
再会はかないません。

この世だけの友だけでは情けない。
未来永遠の友でありたい、
との法然上人の慈愛あふれるお言葉なのです。



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泣くな、友よ
    浄土でまた遇おうぞ

かつて、
「一向専念無量寿仏」をあまりに強調されたため、
法然、親鸞両聖人が、神信心の権力者の怒りを買い、
流刑に遭われたことがありました。
法然上人は南国・土佐へ。親鸞聖人は越後へ。

旅立ちの前夜、
「お師匠さま・・・。
短い間ではございましたが、親鸞、多生の間にも、
遇えぬ尊いご縁を頂きました」
と嘆き悲しむ聖人に、

法然上人は優しく語りかけられます。
「親鸞よ。そなたは越後か・・・・。
いずこに行こうと、ご縁のある方に、
弥陀の本願をお伝えしようぞ。
くれぐれも達者でな」

「はい、お師匠さま。
お師匠さまは南国・土佐へ・・・。
遠く離れて西・東。
生きて再びお会いすることができましょうか。」

恩師との別れを惜しむ親鸞聖人は、
一首の歌をしたためられます。
「会者定離 ありてはかねて 聞きしかど
    昨日今日とは 思わざりけり」

法然上人は、次の返歌を贈られました。
別れ路の さのみ嘆くな 法の友
   また遇う国の ありと思えば

たとえ今生で再会できなくても
しばしの別れ、嘆くな親鸞よ、
再び会える世界(弥陀の浄土)が
あるのだからとの仰せです。


●半座あけて待っているよ

ご臨末の近づかれた親鸞聖人も、
浄土往生の確信から、
「この身は今は歳きわまりて候えば、
定めて先立ちて往生し候わんずれば、
浄土にて必ず必ず待ちまいらせ候べし」
              (末灯鈔)

「親鸞、いよいよ今生の終わりに近づいた。
必ず浄土に往って待っていようぞ。
間違いなく来なさいよ。」
と明言されています。


‘必ず浄土で待っているぞ’と、
力強くも温かく、末代の私たちに
語りかけてくださっているのです。



真宗の盛んな村に、仏法熱心な夫婦があった。
平生から弥陀の本願を喜ぶ身になっていた夫は、
(阿弥陀仏に救われていたということ)
いよいよ臨終が近づいた時に、
ともに苦楽を乗り越えてきた愛する妻に、
こう告げた。
おまえと一緒になれて、
本当によかった。
極楽の蓮台で、
半座空けて待っているからな

妻の目に、熱いものがこみ上げたという。

縁あって同じ家に生まれ合わせた家族と、
この世限りの縁では寂しい。

親子、夫婦そろって
弥陀の本願を聞かせていただき、
(弥陀の本願を聞くとは、弥陀に救われるの意味です。
聞即信と言われるように、弥陀の「助けるぞ!」の呼び声を
腹底にある我々の魂、阿頼耶識が聞く一つで助かるからです。)
ともに弥陀の浄土で再会する
未来永遠の家族とならせていただきたいものです。



再会は弥陀の浄土で! [死後に再会するためには]

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亡くなったあの人は、どこへ行ったのだろう。
もう一度会いたい。
愛する人との突然の死別は、
人を涙の谷底に突き落とします。
幾ら泣いても、今生で再び会うことはできません。
しかし死は、嘆き悲しんでいる私自身にも、
確実に訪れるのです。
親しい人の無常は、自らの生と死を見つめる勝縁。
どうすれば、愛する人とまた再会できるのでしょうか。



以前、本屋大賞に選ばれたことのある小説『東京タワー』は、
テレビドラマ化に続いて映画化、舞台化され、
大変な反響を呼びました。
著者リリー・フランキーさんの自伝的小説で、
故郷・九州での少年期と、東京での学生時代、
上京した母・栄子さんとの生活と闘病、
そして死別が描かれています。

「ボクの一番大切な人。たったひとりの家族。
ボクのために自分の人生を生きてくれた人。
ボクのオカン。
オカンが死んだ。」
「ボクが子供の頃から一番恐れていたこと。
宇宙人の襲来よりも、地球最後の日よりも恐れていたこの日」
最愛の母を亡くした悲しみが赤裸々に、切々とつづられます。


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「人が母親から生まれる限り、この悲しみから逃れることはできない。
人の命に終わりがある限り、
この恐怖と向かい合わずにはおれないのだから」
どんなに離れたくない人であっても、
別れの時が必ず来る。
お互いどんなに必要としていても、お構いなしに死は訪れる。
考えたくない現実だからこそ、いつ来ても、
突然と感じるのかもしれません。
両親だけでなく、夫や妻、子供との死別など、
愛する人との突然の別れに、
多くの人が生木裂かれる思いを味わっています。

それまでの日常生活が一変し、
うつ状態になる人も少なくありません。
一緒にいた時間が幸せであればあるほど、
失った痛嘆は深さを増すものです。

●私にもやってくる

死別は、いつも私が見送る側とは限りません。
私が見送られる時が必ずやってきます。
大事な人の死を無駄にしたくない。
だからこそ、肉親や友人の無常を縁に、
我が身に迫る一大事を見つめることが肝心だと、
仏教では教えられています。

お釈迦さまの時代に、次のような女性がありました。

キサー・ゴータミーといわれる麗しい女性が、
玉のような男の子を産んだ。
命より大切に育てていたその子が、
突然の病で急死した。
彼女は狂わんばかりに愛児の亡骸を抱きしめ、
この子を生き返らせる人はないかと村中を尋ね回った。
会う人見る人、その哀れさに涙を流したが、
死者を生き返らせる人などあろうはずがない。
だが今の彼女に、何を言っても無駄だと思う人たちは、
「舎衛城にましますお釈迦さまに聞かれるとよい」
と教える。

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早速、キサー・ゴータミーは、お釈迦さまを訪ね、
泣く泣く事情を訴え、子供の生き返る法を求めた。
哀れむべきこの母親にお釈迦さまは、
優しくこう言われている。
「あなたの気持ちはよく分かる。
いとしい子を生き返らせたいのなら、
私の言うとおりにしなさい。
これから町へ行って、今まで死人を出したことのない家から、
ケシの実を一掴みもらってくるのです。
すぐにも子供を生き返らせてあげよう」

それを聞くなりキサー・ゴータミーは、町に向かって一心に走った。
どの家に訪ねても、
「昨年、父が死んだ」
「夫が今年、亡くなった」
「先日、子供に死別した」
という家ばかり。
ケシの実はどの家でも持ってはいたが、
死人を出さない家はどこにもなかった。
しかし彼女は、なおも死人の出ない家を求めて駆けずり回る。
やがて、日も暮れ夕闇が町を包むころ、
もはや歩く力も尽き果てた彼女は、
トボトボとお釈迦さまの元へ戻っていた。

「ゴータミーよ、ケシの実は得られたか」
「世尊、死人のない家は、どこにもありませんでした。
私の子供も死んだことがようやく知らされました」
「そうだよキサーゴータミー。人は皆死ぬのだ。
明らかなことだが、分からない愚か者なのだよ」
「本当に馬鹿でした。こうまでしてくださらないと、
分からない私でございました。

こんな愚かな私でも、救われる道を聞かせてください」

キサーゴータミーは、わが子の無常を縁に己に迫る一大事を知らされて、
仏法を求めるようになったのです。


四歳でお父様に、八歳でお母様に死別されたといわれる親鸞聖人も、
「次は自分の番だ」
と死の影に驚き、九歳で仏門に入られました。

「散る桜 残る桜も 散る桜」
と詠んだ人もあります。
満開の桜も、風に吹かれて、ひらひらと、やがて散っていく。
先に散るか、後に散るか、最後は一枚残らず散ってしまいます。
同じように私たちも、一人、また一人と、この世を去っていく。
他人の葬式に参列して見送る人も、
自分の葬儀で他人に見送られる日が必ず来るのです。
死は、百パーセント確実な未来であり、
無関係でいられる人は一人としてありません。


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●それは突然訪れる

しかも、死はいつやってくるか分かりません。
だれもが「いずれ死ぬ」と知っていますが、
「今日が死ぬ日」と思う人は一人もないでしょう。
有名な『徒然草』には、「死期はついでを待たず、
死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。
人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、
覚えずして来る」
“死に順序などない。それは前からだけ来るのではなく、
いつの間にか背後に迫っている。
百パーセント死ぬのを知りながら人は、
今死ぬ、の差し迫った思いを持たぬまま、
思いがけず死んでいくものなのだ”

ゴールデンウィークに、大阪エキスポランドのジェットコースターで、
十九歳の女性が犠牲になりました。
楽しい連休の遊園地で、まさか奈落が待っていようとは
夢にも思わなかったでしょう。
今年の大型連休中だけでも、交通事故で亡くなった人は百十九人。
(平成19年のことです。)
それらの人たちの中で、当日の朝、死を覚悟して洗面し、
朝食を取った人があったでしょうか。

日頃とは打って変わったルンルン気分で、玄関を出たことでしょう。
それは、私たちが死のことなど考えもしないで、
旅行や遊びの計画を立て、出かけていくのと同じです。

お釈迦さまは、
出息入息 不待命終
(出る息は入る息を待たず、命終わる)
と説かれています。
吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、
その時から後生です。
後生と聞けば何十年も先のことのように思いますが、
吸う息吐く息と触れあっているのが後生なのです。

老後という未来は次第に訪れる。
しかし死は、突如としてやってくる。
そして、すべてを奪い去る無法者なのです。

●独りぼっちで去っていく

ふだん、「死は怖くない。むしろ美しい」
と思っていても、実際、死に臨めば、演技する余裕も意地もありません。

今まで頼りにしてきた金や財産、名誉や地位、家族、恋人、友人、
そして、最も大切にしてきたこの肉体とさえも、別れねばなりません。
蓮如上人は次のようにおっしゃっています。

「まことに死せんときは、予(かね)てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」
                  (御文章)

いよいよ死ねばならぬとなったら、どうでしょう。
「予てたのみおきつる妻子も財宝も」とは、
「今まで頼りにし、あて力にしてきたすべてのもの」
ということです。
私たちは何かを頼りにし、あて力にしなければ、生きてはいけません。
夫は妻を、妻は夫をあて力にし、親は子供を、
子供は親を頼りにしています。
恋人や友人を心の支えにしている人もあります。
また、「これだけ預金があるから大丈夫」
「不動産があるから安心だ」
と、金や財産をあて力にしています。
昇進した、教授だ、閣僚だ、難しい試験に合格したと、
地位や名誉を力にしている人もあるでしょう。
これら一切、私たちがあて力にして生きているものすべては、
死に直面したとき、
「わが身には一つも相添うことあるべからず」
積み上げた学問も思想も哲学も何一つ、明かりにはなりません。
死の巖頭に立たされたときには、ニーチェもキルケゴールも、
一切役に立たない。
何もかもが力にならぬことに、初めてガク然とするのです。


「されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ」
“人間は最後、たった一人で真っ暗な後生へと旅立っていくのだよ”
咲き誇った花も必ず散る時が来る。
すべての光を失って、暗黒の後生に入っていかなければなりません。
ところが、そんな自覚もなく、のほほんと日々、生きている人ばかりです。
すべての人にとって、これ以上の大事はありませんから、
これを「生死の一大事」とも、「後生の一大事」ともいわれます。

●生の瞬間を輝かせる第一歩

この後生の一大事の解決一つを教えられたのが仏教なのです。
それにはまず、死を真面目に見つめなければなりません。

“今死ぬと 思うにすぎし 宝なし
    心にしめて 常に忘るな”

死を見つめることは、いたずらに沈むことではない。
生の瞬間を日輪よりも明るくする第一歩なのです。
蓮如上人は、
「誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏を深くたのみまいらせて」
           (御文章)

とおっしゃっています。
後生の一大事を常に心にかけよ。
そして、この一大事の解決は、大宇宙の仏方の本師本仏である
阿弥陀仏のお力によらなければ、絶対にできませんから、
「阿弥陀仏を深くたのめ」と言われるのです。
「たのめ」とは、うちまかせよ、信じよ、ということです。
阿弥陀如来だけが後生の一大事を解決できるのだよと
『御文章』には、このようにも教えられています。

「阿弥陀如来を一筋にたのみたてまつらずば、
末代の凡夫、極楽に往生する道、二つも三つもあるべからざるものなり」
           (二帖目八通)

「その外(ほか)には何れの法を信ずといえども、
後生の助かるということ、ゆめゆめあるべからず」
           (五帖目十九通)

●皆々信心決定あれかし

弥陀に救われたことを、信心決定ともいいます。
親鸞聖人が一生涯、教え勧められたことは、
「聖人一流の御勧化(ごかんけ)の趣は、信心をもって本とせられ候」
と言われているように、「早く信心決定せよ」
ということ以外にありませんでした。
蓮如上人の願いもまた、一日も早く一人でも多く信心決定してもらいたい、
の熱望一つであったことは、
「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」
のご遺言で明らかです。
“命のあるうちに、すべての人が信心決定してもらいたい”
と朝夕、願い続けていかれたのです。


なぜ、これほどまでに「信心決定せよ」と手に汗握って、
お勧めになっているのか。
それは、死んで極楽往生できるのは、
生きている今、信心決定した人だけだからです。


「真実の信心をえたる人のみ本願の実報土によく入ると知るべし」
               (尊号真像銘文)
と、親鸞聖人が名言されているように、
本願の実報土(弥陀の浄土)へ往けるのは、真実信心を獲ている人、
すなわち信心決定している人のみであることを
よく心得ていなければなりません。
だれでも彼でも死んだら極楽、死んだら仏、ではないのです。

蓮如上人も、
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せず」
            (御文章二帖目二通)
と断言されています。
信心獲得とは、信心決定と同じです。
それまで持っていなかったものを獲るから、
「獲得」と言われてるのです。
初めから持っていたものを「獲得」とは言いません。

●また遇う国の 
      ありと思えば

信心決定(信心獲得)すれば、
“必ず弥陀の浄土(無量光明土)に往生できる”
と心が一つに定まるので、「往生一定」と言われます。
往生の本決まりです。


親鸞聖人は二十九歳の時、法然上人に遇われ、
阿弥陀仏の本願を聞き抜かれ、往生一定の身になられました。
その六年後、三十五歳の御時に、
権力者の無法な弾圧により流刑に遭われました。
恩師・法然上人は南国・土佐へ、親鸞聖人は越後へ。
この世で生き別れになられたのです。
法然上人と過ごされた時間は、わずか六年。
生涯、おそばにあってご教導を受けたいと願っておられた聖人にとって、
あまりにも急な別離でした。
会うのは別れの始めなり。
いかに親しくとも、会った者は必ず別れねばならない時が来ます。
これを仏教では、「会者定離」といいます。
親鸞聖人が、法然上人との別離の悲しみを詠まれたお歌は、
読む者すべて、心が締めつけられるでしょう。

「会者定離 ありとはかねて 聞きしかど
       昨日今日とは 思わざりけり」

“この世は諸行無常、会者定離のならいとは
かねて聞かせていただいておりましたが、
お師匠さまとのお別れが、これほど早く来ようとは。
あまりにも・・・、あまりにも早すぎます・・・”
悲泣される親鸞聖人に、法然上人は、またお歌をもって
優しく慰められました。

「別れ路の さのみ嘆くな 法の友
     また遇う国の ありと思えば」

法の友・親鸞よ、一時の別れをそのように嘆いてくれるな。
この世で弥陀に救い摂られた者は、
やがて浄土に往生して再会できるのだから”
『阿弥陀経』には、「倶会一処」と説かれています。
弥陀の浄土は、倶に(ともに)一処(いっしょ)に会うことができる世界。
信心決定したならば、「また遇う国」浄土で再び面会できるのです。


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●光明輝く浄土に
     必ず来なさいよ

親鸞聖人もお亡くなりになられる時、
次のようにおっしゃっています。

「この身な今は歳極まりて候えば、
定めて先立ちて往生し候わんずれば、
浄土にて必ず待ちまいらせ候べし」
         (末灯鈔)

“親鸞、いよいよ今生の終わりに近づいた。
必ず浄土に往って待っていようぞ。
間違いなく来なさいよ”
浄土往生間違いなし、と往く先のハッキリしておられた聖人は、
「あなたも信心決定して、必ず浄土に来なさいよ」
と私たちに呼びかけてくださっているのです。


真宗の盛んなある村に、仏法熱心な夫婦がありました。
平生から弥陀の本願を喜ぶ身になっていた夫は、
いよいよ臨終が近づいた時、人生の苦楽をともに乗り越えてきた妻に、
こう告げました。
「おまえと一緒になれて、本当によかった。
おれは先に往く。極楽の蓮台で、半座空けて待っているからな」
縁あって同じ家で暮らす家族。
この世だけでなく、光明輝く弥陀の浄土で再会できる、
永遠の家族となれるよう、ともに仏法を聞き求め、
弥陀の本願を聞き開かせていただきましょう。



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