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真実の仏教を説く先生は数百年に一人ですが、現在その先生が富山におられます。先生の書物によって皆さんに仏縁を結んでもらい、後生の一大事の解決の入り口になればと思います。

このブログは、作り話を載せているのではありません。
死ねばどうなるか、ハッキリしていませんよね。
もしかしたら、死後は苦しみの世界になるのではないかと
誰もが考えることはあると思いますが、
お釈迦さまは『大無量寿経』で、ズバリ、「必堕無間(地獄)」と教えています。
我々には想像できないほどの大苦悩を受ける世界に
気の遠くなるほどの長年月、堕ちねばならないと説かれているのです。
それは何故か、そしてどうすればそれを解決できるのかを教えるために、
お釈迦さまは地球にお出ましになられました。
このブログは読み飛ばさないことをお勧めします。
無知ほど恐いものはないのです。
(弥陀の本願を知らない、求めないこと自体、あまりに危険です。
人間として生まれて来た意味もわからないまま、畜生と同じ一生を終えますか!?
畜生は仏教を理解する知恵がないから六道輪廻し、永遠に苦しまなくてはなりませんが、
我々人間は弥陀の本願を聞思し、救われて極楽往生できる道があるのです。
だから人間として生まれたということはものすごいことであり、
ボーとして求めるものを求めずに過ごしてしまったら取り返しのつかないことなのです。)

           

お釈迦さまが仏教を説かれた目的は何か!? [釈迦]

(問)お釈迦さまが仏教を説かれた目的は何か

(答)
世界文化史の大家、H・G・ウエルズは、
世界の偉人のトップにお釈迦さまをあげ、
私は公平にどの点からみても、
世界で最大の偉人は仏陀釈迦牟尼世尊である

と言っています。
ドイツのハイラー教授も、
仏陀釈迦は、世界の最も偉大な宗教家であり、
世界の光である

と絶賛しています。

世界の三大聖人、二大聖人といわれても、
トップに挙げられる釈尊は、
インドのカピラ城主、浄飯王の長男として生まれ、
仏覚を悟られるまでは、ジッダルタ太子と呼ばれていました。
生まれながらにして、社会的には最高の地位、名誉、財産を持ち、
その上、親の溺愛を受け思うままの生活が約束されていた人でした。
19歳で国内一の麗人といわれたヤショダラ姫と結婚し、
翌年、男子ラゴーラをもうけていられます。
さらに、春夏秋冬の四季の御殿に住まわされ、
500の美女とたわむれる栄耀栄華の限りを尽くした方でした。
私たちが、その中の一つでも手に入ればと、
日々、必死に求めているもの全てをお釈迦さまは、
すでに持っておられたのです。
その釈尊が、なお満足できない魂の叫びに驚き、
29歳の2月8日、突如、それら一切の名誉、地位、財産、
妻子を捨てて城を出て、入山学道の人となられたのです。

●人生の実相に驚き
     不変の幸福を追求

この世の一切のものは、常住しないのだ。
いずれの日にか衰え、いずれの日にか亡ぶのだ。
歓楽つきて哀情多しといわれるではないか。
快楽のカゲにも、無常の響きがこもっている。
美女の奏する弦歌は、欲をもって人を惑わすのみだ。
人生は、苦悩に満ちている。
猛き火のごとく、浮かべる雲のごとく、
幻や水泡の如きものではないか。
若きを愛すれど、やがて、老いと病と死のために
壊れ去るものばかりである

人生の実相を洞察なされた釈尊は、
常住不変の絶対の幸福とはなにか。
いずこに存在するのか。
それこそが、万人の希求するものではないか
と、
勤苦6年、35歳の12月8日、ついに大悟徹底、仏陀となられたのです。
かくして、80歳、2月15日、ご入滅になるまで、
布教活動をなされたのです。
この45年間の釈尊の教えの記録が一切経といわれるものです。
ゆえに一切経は、7000余巻という膨大な数にのぼっていますが、
釈迦出世の本懐は、唯一つ、阿弥陀仏の本願であったのです。
その明証は種々ありますが、
いよいよ弥陀の本願を説かんとなされた時、
釈尊は
「これより私の出世の本懐を説き示そう」
と厳粛に宣言なされ、弥陀三昧に入って五徳現瑞なされて
弟子たちを驚嘆させられています。

そして、最後には「特留此経(とくるしきょう)」とおっしゃって、
「弥陀の本願を説く此の経(大無量寿経)は、
一切の経典が滅する時が来ても残り、
すべての人が真実の幸福に救済されるであろう」
と予言されています。

弥陀の本願を説き終わられた釈尊は、
いかにも満足そうに、
「これで如来として、なすべきことはみななし終わった」
と慶喜されています。

ですから釈迦一代の教えといっても、
阿弥陀仏の本願に収まるのです。

私たちが釈尊の大恩に報いる道は、
弥陀の本願を聞信し、絶対の幸福になることに極まるのです。

釈尊の一切経をホゴにするか、どうかは、
私たちが弥陀の救いに値うか、否かにかかっていることを忘れてはなりません。


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科学の進歩=人類の幸福か

(問)科学の進歩は、イコール人類の幸福といえるのではないでしょうか。
仏教から見た科学はどういうものでしょうか。

(答)
生活のあらゆる面で科学の恩恵にあずかっている現今では、
あなたと同意見の人が多いに違いありません。
仏法でもそれらの一面を否定するのではありませんが、
科学はあくまでも幸福になる一つの手段であり
道具であります。
その道具を使うのは人間です。
私たちがそれを、どう使うかによって
科学は鬼にも仏にもなると教えるのが仏教です。

●科学は鬼か、仏か

19世紀までの科学は人類を幸福にしましたが、
ダイナマイトが発見された頃から、
科学の進歩は血なまぐさい兵器開発に
利用されるようになりました。
第一次世界大戦から二次世界大戦を迎えて、
人類の大量虐殺は急に加速度を増しました。
そして遂に原子爆弾という化け物まで生み出したのです。
それは1938年、ドイツの物理学者が
ウランの核分裂を発見したのが始まりでした。
科学者は、ナチスドイツが、この原理を悪用して
核兵器を製造するのではなかろうかと恐れました。
その懸念をアインシュタインが、
アメリカ大統領に伝えたことから、
原爆開発が急ピッチで進められ、
敗戦迫る日本の広島、長崎に投下されたのです。
戦後わずか4年で、旧ソ連も原爆を保有し
米ソ二大国の、核開発の競争が始まりました。
両国は原爆に続きその数百倍の破壊力のある水爆も開発し、
一時は世界に、7万発の核爆弾が存在しました。
削減が進められている今日でも、
人類を何回も絶滅させる核兵器があるといわれます。
核戦争に加え、核兵器のテロジャックのシナリオに、
人類は戦々恐々としています。
もうこれは、兵器などというものではなく
人類絶滅器、地球破壊器というべきでしょう。
第二次大戦では、世界で五千万人近くの青年が
雑魚のように殺されました。
もし三次大戦が起きれば、
数時間のうちに地球は火の玉に燃え上がることでしょう。

●鬼とは誰のことか

科学は、果たして鬼なのか仏なのでしょうか。
いや科学は、必ずしも鬼ではありませんが、
科学を利用する人間の心に鬼が棲むのです。

貪欲と瞋恚と愚痴がそれです。
釈尊はこれを青鬼・赤鬼・黒鬼と教えられました。
この鬼の前には、人間の尊厳も自由も生命の歓喜も許されません。
学問も教養も修養、倫理、道徳も糞くらえとなってしまいます。
鬼ヶ島の鬼を退治したのは、桃太郎でしたが、
私たちの心の鬼を更生させるのは、
真実の仏法しかありません。

古今東西の人類を、真の幸福に救う真実の仏法を伝える手段に
活用されてこそ、科学は真の存在意義を持ち、
使命を果たすことができるでしょう。

科学をそのために活かすのが、
真の仏法者でなければなりません。

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